環境ホルモン問題
環境ホルモン問題とは
米国で出版された”Our Stolen Future(邦訳版:奪われし未来)”の主張に代表されますが、「環境中に放出された、DDTやPCB等のいわゆる残留性有機塩素系化合物等に代表される合成化学物質の中に生体が持つホルモンと類似の作用を示すものがあります。これが野生生物やヒトの内分泌(ホルモン)作用を攪乱するため、野生生物に生じている深刻な影響が人間にも及んでいる」と言う”説”を展開しています。基礎的かつ科学的研究の実施と早急な対策を講じるよう、強く警告を発しています。(日本化学工業協会作成の環境ホルモン問題についてのQ&Aより)学問的には「内分泌かく乱物質(Endocrine Disrupting Chemicals または Endocrine Disruptors)」という用語が用いられていますが、メディア等では「環境ホルモン」と通称されています。
ビスフェノールAと環境ホルモン問題
ビスフェノールA(以下、BPAと略す)が環境ホルモンとして注目を集めているのは次のことが原因と考えられます。- 「奪われし未来」でポリカーボネート樹脂から溶出したBPAが実験細胞に女性ホルモン作用を示したというエピソードが取り上げられた。
- 環境庁が、「環境ホルモン問題への環境庁の対応方針について」で内分泌攪乱作用を有すると疑われる化学物質として67物質をリストした中にBPAも含まれていた。
- 米国のvom Saal博士が、妊娠したマウスに非常にわずかな量のBPAを与えたところ、生まれたオスの仔の前立腺重量が増加したという実験結果を発表した。
ビスフェノールAの女性ホルモン作用
BPAに女性ホルモン様作用のあることは、すでに今から60年以上前の1936年にDoddsによって報告されています1)。最近でも試験管内スクリーニング試験、及び動物を用いたスクリーニング試験で弱い女性ホルモン様作用を示すことが確認されています2-5)。動物を用いたスクリーニング試験では、BPAの作用の強さは天然の女性ホルモンであるエストラジオールの1万分の1以下となっています。また、女性ホルモン様作用を示したと報告されているBPAの最小用量は400mg/kg/日です。女性ホルモン様作用があるからと言って、有害であるわけではありません。女性ホルモン様作用をもつことが毒性の原因になるかどうかは安全性試験をして調べる必要があります。そのための最も適切な試験は生殖毒性試験です。BPAについては生殖毒性試験を実施済みで無作用量は50mg/kg/日であることを確認しています。また、慢性・発がん性試験でも女性ホルモンが作用する臓器である乳房などの生殖器関係にがんなどの異常は増加していません。これらのことから、BPAは弱い女性ホルモン様作用を持っているが、それが生体に悪い影響を及ぼすことはないということになります。
低用量問題
米国ミズーリ州立大学の研究者がマウスを用いた試験で、BPAは非常に低用量での投与により雄の子の前立腺重量を増大させるという報告をし、波紋を投げかけていました。日米欧のビスフェノールA関連業界では共同でこの試験の大規模な追試を行いました。ミズーリ州立大学と同じ条件で、更に動物数や検査項目も増やして慎重に試験を行いました。また、Dr.Ashbyら(Astra Zeneca社 中央毒性研究所)も同様に再現性試験を行い、低用量での影響は認められないことを確認しています。妊娠中のマウスに0.002または0.02mg/kg/日のBPAを経口投与する。生まれたオスの子が成熟後検査したところ、前立腺重量が増加していた。また、精巣重量は低下していたという結果がDr.vom Saalらによって報告されました6,7)。0.002mg/kg/日という用量はBPAの生殖毒性試験での無作用量である50mg/kg/日の25,000分の1というきわめて低用量であるため、多くの関心を引きました。
BPA業界ではこの低用量効果を確認するために、同じ系統のマウスを使用し、1用量群当たりの動物数、用量数、検査項目を増やした信頼度の高い条件で試験を行いました。どの用量でも、どの検査項目でも対照群と差はないという結果になりました8)。Dr.vom Saalらの試験条件との比較を添付資料1に示しました。
また、Dr.Ashbyらと米国CIIT(化学工業毒性研究所)もそれぞれ同様の試験を行っています。そして、このような低濃度ではBPAによる影響は認められないことを確認しています9,10)。
Dr.vom Saalの試験は動物数も用量数も少なく予備試験的なものです。上に述べた3箇所の独立した試験機関がより信頼度の高い試験をしてもDr.vom Saalが報告した結果が再現できなかったことから、Dr.vom Saalのいう低用量効果はこの段階では実質的に否定されたと考えられます。
生殖毒性試験
毒性に係わる試験は上に述べた試験管での試験あるいは特殊な処置をした動物を用いた試験等で基礎的な研究を行いますが、女性ホルモン様作用があることが直ちにヒトや動物に有害とは言えません。実際に生殖影響があるかどうか確認するために、体内での吸収、代謝、分解、排泄等の全ての条件を含めたものとして、ラットやマウス等の動物を用いて試験をします。妊娠中及び授乳中のラットおよびマウスのメスにBPAを餌に混ぜて投与し、離乳後の子にも投与を続けて生殖影響をみる研究が行われました。その結果、生殖影響に関する各指標に異常は認められませんでした。このことから妊娠中の胎児への暴露も含めて生殖影響はないと考えられます。
安全性の新たな確認
前述の低用量での生殖影響に関する論文が発表された後にも、妊娠中の母親に低用量でBPAを投与すると生まれた子に生殖影響がある、との新たな報告がありました。我々は一層の安全性を確認するために、低用量確認試験に続いて3世代生殖毒性試験を行いました。この試験は内分泌かく乱作用を検査するのに最も信頼できるとされている試験方法で、ラットを用いて親から子、孫そしてひ孫へと3世代にわたり投与を続け生殖毒性を見るというものです。これは、低用量から高用量までの影響を確認するため、投与する量を0.001~500mg/kg/日と広範囲にし、さらに女性ホルモン様作用による影響を見るための各種検査項目を加えるという大がかりなものとなりました。
その試験結果は次のとおりです。生殖毒性についての無毒性量(これ以下では毒性が認められない量)は50mg/kg/日でわずかに体重増加量の減少が認められ、無毒性量は5mg/kg/日でした。これ以下の低用量での影響は認められませんでした11)。詳しくは添付資料2をご覧ください。
これらの結果は従来の試験で得られたものとほぼ同様の値であり、現行の許容摂取量である0.05mg/kg/日の正しさを再確認できたと考えます。
また、低用量でのBPAの作用を検査する目的で、日本の厚生労働省はラットを用いた2世代生殖毒性試験を行い影響のないことを確認しています12)。環境省も独自の工夫をした1世代生殖毒性試験を行い低用量のBPAよる影響のないことを確認しました13)。
しかし、BPAの安全性について社会に提起されている問題は重要であり、今後も真摯な姿勢で産・官・学及び国際的な連携の下に研究を進めていく所存です。
環境ホルモン問題について当研究会の見解
環境ホルモン問題とビスフェノールA環境ホルモン問題は、何が問題か
元三菱化学の西川洋三氏の「アロマティックス」誌への掲載論文を紹介します。環境ホルモン問題は、何が問題か
添付資料
添付資料1:低用量におけるDr.vom Saalらの試験とその再現試験
添付資料2:
3世代生殖毒性試験
添付資料3:
ハーバード大学リスク分析センターの専門家パネル「BPAの低用量作用はなかった」
引用文献
1) Dodds,et al., Nature 137,996(1936)2) A.V.Krishnan,et al.,Endocrinology,132(6),2279-2286(1993)
3) S.R.Milligan,et al., Environ. Health Perspect. 106,23-26(1998)
4) J.Ashby, Environ. Health Perspect. 106,719-720(1998)
5) 信原陽一ら、食品衛生学雑誌 40(1),36-45(1999)
6) S.C.Nagel,et al., Environ. Health Perspect. 105,70-76(1997)
7) F.S.vom Saal,et al.,Toxicol.Indust. Health 14,239-260(1998)
8) S.Z.Cagen,et al., Toxicological Sciences 50,36-44(1999)
9) J.Ashby,et al., Regul. Toxicol. and Pharm. 30,156-1666(1999)
10) J.C.Gould.et al., Toxicologist No.866,867(1998)
11) R.W.Tyl, et al., Toxicological Sciences 68,121-146(2002)
12) Ema M., et al., Reproductive Toxicology 15,505-523(2001)
13) 環境省, 平成16年度第1回内分泌攪乱化学物質問題検討会 配布資料